松坂大輔選手の引退について…で思うこと。

よもやま話

7月7日、西武ライオンズの松坂大輔選手が今シーズン限りで引退するとの報道がでました。

いや~。なんというか、感慨深いですね。松坂選手は今年で41才。ほぼ同年代のスーパースターがついにユニフォームを脱ぐということで、全く接点もない関係性もない小生なんかでも想うものが込み上げてきましたよ。

感傷に浸りつつ、『わたしはこの報道を受けネットニュースを眺めつつ、「だいすけ、おつかれさま」なんて思わずつぶやいていました』なんて勢いで書いてしまうところでしたよ。。。ほんとに。

『いやいや、おまえ、なに目線なん。まず先輩やし「だいすけさん」やろ。』などのネット民のコメントが届いてくる前に訂正申し上げようと思いましたが、そんなネット民がこのブログには存在していないことに気づいてしまいました。なので、このままで進めたいと思います。

1998年 夏の甲子園

先ほどわたし、松坂選手とは全く接点もないという表現を使いましたが、実はいままで隠していたわけではないのですが、あの松坂フィーバーで沸く1998年夏の甲子園(第80回全国高等学校野球選手権大会)で彼と対戦したことがあるんです、なんて勢いで書いてしまうところでしたよ。。。ほんとに。

いやー、あの夏は特に暑くてね。。。

…。

さすがに、読者ゼロとはいえいよいよこのへんで止めておこうと思い立った40才です。わたしの中の小さな良心がまだ残っていた証左ですかね。

さて、ここまでの事実を確認すると以下の感じです。

  • わたしは松坂選手と同世代であること
  • わたしは松坂選手のファンであること
  • わたしは1998年夏の甲子園で松坂選手の投げる姿を三塁側スタンドから観ていたこと

そうなんです、実はわたしあの夏、甲子園には行っていたんです。そして、偶然にも横浜高校の松坂大輔選手を観たんです。

1998年 夏 – second season –

わたくし、出身は九州なので新幹線に乗って甲子園まで行ってたんです。いや、違う!青春18きっぷを握りしめて、いまはもう運航終了しているムーンライト九州に乗って行ったんです。懐かしいな~。夜行列車で通路に雑魚寝(ざこね)して行きましたよ。若さゆえですね。。。

わたくし、環境の変化に弱いんです。。。すぐノド痛くなるし、タバコの煙とか絶対イヤだし。枕違うと寝られないし。ということで、もう絶対ムリ!なんで夜行列車なんかで行こうと思ったのか…。あー、ほんとうもう。通路で寝てるときに手、踏まれたし。。。そんな思い出がいまさらながら思い出される。つらたん…。

…。

さて、そんなこんなで甲子園です。

いまのいままで黙っていましたが、わたくし、あの松坂大輔の伝説が始まる1998年の夏の甲子園まさに行ってて、さらには横浜高校で松坂選手がマウンドで投げる姿を観てんるです。しかも、勝ったんです、横浜高校が。そりゃそうだ、だって優勝したんだもん。

大事なところなんです繰り返しますよ。わたくし観に行ってたんです、あの大激闘の「横浜-柳ヶ浦」戦を。いやー、すごかった。。。

神奈川県代表の横浜高校、大分県代表の柳ヶ浦高校の一戦です。1998年8月11日の第二試合でしたよ。そうです、あの夏、あの松坂伝説の中でもっとも語られることが少ない一戦を観に行ってたんですよ。いい思い出です。本当は、写真があるんです。試合後、三塁側に挨拶に来る横浜高校の選手たちがマメ粒のように映ってる写真が。あの中に、きっと松坂選手がいます。

さて。そろそろ、保険を掛けにいかねばならない時間です。柳ヶ浦高校の関係者の皆様、さらには上記記述により不快に思われたネット民の皆様には謹んでお詫び申し上げます。さも、「横浜-柳ヶ浦」戦が地味で目立たなかった試合だったかのごとく表現してしまったかも知れません。事実、まったく面白くもなんともない千葉県在住・一般男性(40才)が、どうにかこうにか、読者ゼロのブログを盛り上げようとしてふくらはぎ(脹脛と書くらしい)がつるくらい背伸びして書いてました。大事なところなので繰り返します。お詫びします。申し訳ございませんでした。

※正直、申し上げると今日の今日まで自分が観に行った試合が「横浜-柳ヶ浦」戦だったことを知らなかったんです。本当は第一試合を観たくてその日に行ったんですが、もう終わってて。。。そしたら、どうやら、次の第二試合が「横浜-柳ヶ浦」戦だったんです。
※お詫びになってなかったですね。補足申し上げると、横浜高校にとっては夏の大事な初戦であり、春の甲子園で優勝していたので春夏連覇を目指しての初戦だったんです。ということはかなりの緊張もあって、それはそれはとてもとても重要な一戦であったのは間違いないんです。それを素人のわたしが詳しくないことを良いことに(?)アレコレ書いてしまって申し訳ございませんでした。

1998年 夏 – third season –

すでにもうお分かりかと思いますが、わたくしめちゃめちゃ隣のモニターで、インターネットを駆使して調べてます。。。なんとも便利な時代です。ありがとう、Google先生やwikipedia博士…。しかも調べてみると、この時の横浜高校って、三回戦で石川県代表の星稜高校と戦っているんですね。これも知らなかった。ここも意外と知られていなくて地味な印象なんですかね、とか書いてしまうところでした。大分県に留まらず、石川県まで敵に回してしまうところでしたよ、あぶないあぶない。そんなこと知らないのお前だけだよって、聞こえてきそうですね。ふー、ほんとあぶない。

…。

すでにお気づきかと思いますが、このブログ読者ゼロなんで「無」なんです。。。いつかクレームがくるくらいにページビューが増えるといいなぁ。あ、でも「無」といえば真空も何もない「無」だと思われがちですけど、量子論から考えるとプラスとマイナスが常に生まれてはくっついて消えるみたいなことを繰り返している状態らしいんです。実は何も無いっていう状態ではないんですよね。だから、読者ゼロっている状態ももしかしたら、プラスの読者とマイナスの読者が常に生まれてはくっついて消えている状態なのかも知れませんね。

さて、話は戻って、1998年の夏といえば、結局はあの延長17回のPL学園戦とか、超大逆転劇の明徳義塾戦とか、決勝ノーヒットノーランの京都成章戦とかの衝撃が凄すぎて、他がかすんでしまったとは言わずに、あれらの激戦たちが衝撃が凄すぎたんですよね。。。あんなことないですよね、漫画ですよマンガ。。。まんがでも読んだことないし、あんなストーリー。。。

ちなみに、二回戦の「横浜-柳ヶ浦」戦の次の三回戦は「鹿児島実業-八戸工大一」戦だったんです。覚えている方もいらっしゃると思います。ここで、当時高校生だった(当たり前ですね、高校生の大会ですから)杉内俊哉選手がノーヒットノーランを達成しているんですよ。すごい年代ですよね、松坂世代って。

彼と私を分けたもうたもの

正直、あの日あの時、「横浜-柳ヶ浦」戦よりも「鹿児島実業-八戸工大一」戦の方が印象に残っているんです。試合も中盤くらいだったかな。スタンドの観客席で誰かが、「あれ、まだヒット一本も出てないんじゃない?」って聞こえた気がするんです。そして、バックスクリーンの掲示板を見てみると確かに対戦相手のヒット数が「0」と表示されてた気がします。

そしたら、なんかスタンドで「おぉーまじかー」とかなったような気もするんです。もしかすると、もしかするぞーみたいな。

野球を観に行くこともしょっちゅうじゃないし、そもそもノーヒットノーラン自体がめったに起きないことなんで、たまたま観に行った試合でノーヒットノーランが起きるかもって。それはそれはすごいものに立ち会ったな(正確には立ち会うかもな)みたいな感じになったんですよ、たぶん。

若干、記憶の脚色があるかもしれません。なにせ、えーっと20年以上も前のことなんで。すみません。。。

ちなみにあの日、めちゃくちゃ暑かったんです。間違いなく。あんなに暑い中でよく野球とかやってられるようなぁって思いました。同じ高校生なのにすごいなって。僕なんかは絶対ムリ、こんな日には絶対できない、む~り~。。。というくらいに暑かったのはハッキリと覚えているんです。世の中に絶対っていうのはないんですけど、これは絶対です。絶対に暑かったんです。(いま調べてみると、大阪の気温で最高35.4℃・最低30℃ですね、これはこれは暑いですね 汗)

なぜ、そんなにはっきりと覚えているか。

なぜか。。。

それは、小生が試合そっちのけで日陰で休んでいたからです。。。正直、観てられなかったっす、試合。本当に暑くて。

なんなら、試合の途中で出ましたもん甲子園。そうです、なので杉内選手のノーヒットノーラン見逃してるんです、小生。

…。

平成の怪物、松坂大輔。あの日あの時、一瞬でも同じ舞台に立った彼と私を分けたもうたものは推して知るべしです。もうこの一文に意味はないですね。ただ、こんな感じで言ってみたかっただけです。すみません。

最後に。

松坂大輔選手のことをずっと応援していたことは本当ですし、わたしの中では特別な選手だったことは嘘ではありません。いまさらソフトバンク時代の4年間をどうのこうのいうつもりもございません。本当にイチ人間として応援していたのは事実です。だって、あんなスーパーヒーローいますか?同じ世代に生れてきて、同じ人間があんなに凄いことやってのけるなんて、感動しかないです。生まれつきの才能とかそれからの努力とか、そりゃ全然自分とは違う人種ですよ。1998年夏の甲子園での生観戦の記憶は曖昧だったかも知れませんが、帰ってきてからみた「熱闘甲子園」以降のわたしの中の松坂大輔は間違いなくスーパーヒーローでした。そんな彼を同じ時代で応援できたことは一つの財産です。全然レベルは違いますが、何かなんとも言われぬ刺激を受けたのも事実ですし、勇気をもらったのも真実です。ありがとうございました。

そして、本当に本当に、松坂選手、おつかれさまでした。そして、たくさんの感動をありがとうございました。もちろん、これからも応援しています!

以上、松坂”いっこした”世代を代表する一般人からの報告でした。

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